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【古代】年代、DNA語るイネの中の「プラント・オパール」 稲作のルーツに迫る 宮崎大で研究40年 [樽悶★]

1 :樽悶 ★:2021/04/03(土) 22:31:07.46 ID:ayKkG+889.net
イネのプラント・オパール。イチョウの葉のような形が特徴だ=宮崎大提供
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20210330001337_comm.jpg

 植物の細胞壁に含まれる微小な石「プラント・オパール」から、日本の稲作のルーツに迫ろうという研究が、宮崎大学で40年以上にわたって続いている。最近は土から大量に抽出する方法が確立され、DNAを取り出して分析することや、年代を測定することも可能になりつつある。

 プラント・オパールは植物の細胞壁にケイ酸が蓄積されてできる石で、穀物や竹などイネ科の植物を支える「骨格」の役割も果たす。形や大きさは植物の種類で異なり、イネはイチョウの葉のような形が特徴。1980年代に青森県の水田遺跡で次々と検出され、弥生時代の東北地方に稲作が到達していたことを示す資料として注目された。

 その検出を手がけたのが、宮崎大学農学部の藤原宏志名誉教授だった。70年代からプラント・オパールを農耕史の解明に応用する研究を進め、80年代に研究法として確立。中国・長江流域の草鞋山(そうあいざん)遺跡などでも日中の考古学者らと共同調査を進めてきた。

 藤原さんから研究を引き継いだ同学部の宇田津徹朗教授(地域農学)が15年ほど前から進めてきたのが、プラント・オパールによる年代測定法の開発だ。遺跡の年代は、出土した土器の形や、炭化米など有機物の放射性炭素(C14)を使った年代測定で判定されるが、水田遺跡ではこうした土器や有機物が出土しないケースも多い。プラント・オパールで年代が分かれば大きな手がかりになる。

 「プラント・オパールは元々、米国で1960年代にC14年代測定の材料として注目されたが、当時の方法では100キロ単位の土からプラント・オパールを取り出す必要があり、あまり普及しなかった」と宇田津さんは話す。だが80年代以降に加速器を使って微量の試料からでも年代測定が可能になり、材料としてプラント・オパールが再び注目されることになった。

 宇田津さんの研究チームが最初に注目したのは、海外にも報告例があった、プラント・オパールが形成される際に中に閉じ込められた細胞の有機物だった。測定に必要な有機物を得るには約0・3グラム、およそ400万個のプラント・オパールが必要。そこで、チームはまず土の中からイネのプラント・オパールを効率的に取り出す手法の開発に着手した。フィルターや薬品で特定の重さ、比重の粒子を選別する方法などで、100グラム単位の土から測定に必要なプラント・オパールを抽出する技術を確立した。

 しかし、そのC14年代も考古学による推定と一致するケースと、より古くなるケースがあり、安定しなかった。宇田津さんは、プラント・オパール内の細胞には土中の古い有機物の炭素が取り込まれ、年代が古く出る場合があると判断。そこで現在、新たな測定対象として、プラント・オパールの表面に残った微小な植物繊維に注目し、それを大量に集めて年代を測定する研究に取り組んでいる。

 一方、この年代測定の研究でプラント・オパールを大量に集める技術が確立できたことで、その内部に残されたDNAでイネの種類を見分けられる可能性が出てきた。宇田津さんは7年前から弘前大学の田中克典助教(植物遺伝学)と協力し、プラント・オパール内部のDNA抽出と解析を進めている。

 これまでに長野県(平安時代)、愛媛県(古墳時代)、宮崎県(弥生時代末〜中世)の水田遺跡で耕作土を採取し、ほとんどの試料から葉緑体由来のDNAが得られたほか、一部は細胞核のDNAも取り出すことができた。

 日本で作られてきたイネには、整備された水田に適した温帯ジャポニカと、より厳しい環境でも生育する熱帯ジャポニカがあり、プラント・オパールの形では、その水田で栽培された中心的なイネを見分けることしかできない。しかし、DNAなら複数種のイネの存在を見分けることが可能だ。長野県の遺跡で採取されたプラント・オパールは形状で熱帯ジャポニカと判定されたが、細胞核DNAからは温帯ジャポニカも存在したことがわかった。

 昨年度からは文部科学省の科学研究費による5年間の研究プロジェクトを立ち上げ、実用化を目指して、より多くのデータの蓄積と、葉緑体DNAで種類を判別する研究などを進めている。宇田津さんは「水田跡探しに使われてきたプラントオパールから、さらに年代やDNAも調べることが国際的に一般化すれば、稲作が伝わったルートや、人々が環境変動にどう対応してきたかが見えてくるのでは」と話している。(今井邦彦)

朝日新聞デジタル 2021年3月31日 10時00分
https://www.asahi.com/articles/ASP3Z4443P35TIPE00V.html
2021/03/31 22:35
https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/n4b4531092fe9

21 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/03(土) 23:41:40.71 ID:wXuhIXpR0.net

>>4
馬鹿だな君は

121 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/05(月) 13:54:00.56 ID:Z0cGpleC0.net

やっぱり稲作伝搬系は荒れやすいな

51 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/04(日) 05:44:48.51 ID:oOqClGAZ0.net

司馬遼太郎
「平安時代までの日本文化は外国のもの。日本が日本らしくなったのは鎌倉時代以降であろう。」

44 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/04(日) 00:27:24.91 ID:vzc7SLFS0.net

>>1
>土中の古い有機物の炭素が取り込まれ、年代が古く出る場合があると判断

判断と言うより「仮説を立てた」って感じではないかと思われますが

72 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/04(日) 11:27:17.31 ID:oOqClGAZ0.net

>>69
反知性ネトウヨが好きな「火山噴火で絶滅したから、いまの〜〜は別もの!」理論ね
これも分子人類学では、古代人をゲノム解析してPCA上でプロットすれば、簡単に答えを導き出せる

東大の研究チームが、とっくに「縄文人とアイヌは同クラスター」「日本人と韓国人は同クラスター」と結論を下したのだが
ネトウヨはサヨク学者の捏造だ!などと、やはり反知性まるだしで現実逃避しているようだ

https://image.prntscr.com/image/EYWB175LTyKBnlITTtj52A.png

144 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/06(火) 18:46:30.79 ID:5mW18ygF0.net

どこから来たにせよ中国から貰ったのは間違いない
飯くうときは中国様に感謝しないとな

42 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/04(日) 00:20:10.80 ID:RhKIolyd0.net

ニダニダ

141 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/06(火) 17:34:29.93 ID:rPd4bQKz0.net

>>132
>>139
またネトウヨがクソみたいな妄言吐いてるのか
稲作の伝播は、たんに栽培技術だけが伝わったのではない、稲作農耕に伴なう文化の全体が一気に半島から伝わった
農具も炊具も、磨製石器も、無文土器も、松菊里型住居も、支石墓も木棺も、青銅器も、それらのすべてが半島から伝わった
つまりプロト・ジャポニック・スピーキング・ムムンが朝鮮半島からやってきたということだ
そして弥生人になったということだ

もうネトウヨは発狂死する未来しかないんだよ。さっさと諦めろ

124 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/06(火) 12:01:15.63 ID:rPd4bQKz0.net

「光は朝鮮半島から」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳

吉野ヶ里遺跡

縄文人とは、現在の日本人とは異なるアイヌの祖先をいう。
髭が濃いが、その髭がエビのように長くて立派だということで蝦夷と毛人という名前で呼んだのである。

縄文人が狩猟・採集に満足して生活していたのに対して、朝鮮半島ではすでに紀元前一〇〇〇年から櫛目文土器の新石器時代を清算して青銅器時代に入って、新たな文明を開拓していた。
縄文人は、狩猟・採集した魚と実を盛ったり信仰を表したりする土器を作ることにのみ、優れた技術を発揮したのである。
自然の豊饒のために文明の発達が遅れたアメリカ先住民の没落過程と似ている。

紀元前三〇〇年頃に突然、弥生人が登場した。定住生活をしながら稲作を行って食糧を備蓄して生きていき、青銅器を使用して集団をなして力の結集が可能だった。
こうした弥生人に、縄文人は敵わなかった。一部の縄文人は、弥生人と血を分けて暮らしたが、結局、生活の場を奪われて環境が劣悪な北方に押しやられてしまったのである。

一八八四年、東京大学本郷キャンパス付近の弥生という場所で土器が発見された。
縄文土器とは全く異なるものであった。朝鮮半島の無紋土器と似た無紋の土器であった。
その後、こうした種類の土器が日本各地で出土した。おおよそ紀元後三世紀までの遺跡から出てきたために、この時期を弥生時代と呼ぶのである。

二三〇〇年前、ついに日本列島に文明の光が照らされました。稲作と青銅器文化が朝鮮半島から入ってきたのです。
弥生時代の遺跡からは、慶尚道の弁韓・辰韓時代のものと同じ細形銅剣、青銅鈴、無紋土器が出土しています。
朝鮮半島の三国時代のものと全く同じ半月型包丁が出土しています。鎌もでています。また、牧畜がなされました。

日本が文明の恵みを受けて弥生時代を開いていったことを証言する場所が、まさに吉野ヶ里遺跡です。

111 :ニューノーマルの名無しさん:2021/04/04(日) 16:21:14.51 ID:ISuKnAxn0.net

この分析は「現代の稲」の遺伝子分析だからな
農具を見れば朝鮮半島から稲作が伝わったのは明白な事実だから
佐藤洋一郎もその後のどこかの段階で中国から直接日本にきた
稲が広まったと著作で述べている

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